解説
mizuki/Kaisetu/kokon

みずき通り商店会解説
「みずき通り今昔」
2006年記
 南は新築の“城南建設電飾ビル”から、北は百年は続いていそうな“三味線の梅屋”まで約二百メートル。両側に並んだ商店街を「みずき通り」と呼ぶ。
 平成6年に市の肝いりで花ミズキの並木が植えられ、花壇も整備、四季それぞれの花を絶やさない。クイズめくが、全部で何店あるかといえば50店である。
 同業数トップの美容院「4」は時流だろう。床屋が「2」銭湯まである。徹宵の“酒補”から“うどん屋”“焼き肉”“天婦羅”“河豚”“鰻”“カレー専門”何でもありだ。“菓子”“ケーキ”“喫茶”“服屋”“靴屋”と来て“マッサージ”、忘れていけない“花屋”二軒と“歯科”… そうそう“コンビニ”“肉屋”とも…あと“煙草屋”これは古いぞ!。変ったところで、“梅干し屋”と“カラオケ”
(落ちがあったらごめんなさい)、古くはここを「小谷横町」と言った。当時から、二十四時間どこかの家に必ず灯のある街だった。働き者が多かったのだ。

 45・8.2の大空襲で廃虚と化したが、B29の爆撃照準点がこの“みずき通り”だった事を知る人は少ない。 
 アメリカ軍の爆撃計画書の航空地図にでっかい二重丸があり、そのマンマンナカが小谷横町であった。戦前も戦後も、この街は八王子のヘソ(臍)なのである…。
 年二回のフェスティバルは万を超える人出で雑踏を極めるが、戦前六月一日からの夜店の盛況を思い出す人もあるだろう…。(み)

写真提供:石井塗料店

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